大人になって思うのは、そんなこと気にしなくていいということです。
大抵の人は社会=会社でしかない
親や年配の人が言う「社会」は、在籍している会社、親戚、近所の人程度です。ごく狭い範囲でしかありません。
同質性が高い集団であるといえるでしょう。
しかし、その狭い範囲の常識が普遍的なものだとは限りません。
その集団を出てみれば違った常識がある場合がほとんどです。
その可能性を考えず、「社会」という便利な言葉で脅しをかけてくる人は不誠実です。
仕事をしない社会人は存在している
社会人はハードワークな人もいれば、あまり仕事せずに給料をもらえている人もいます。会社員をやっていた頃、人任せにする上司やパソコンを使えないおじさんがたくさんいました。
それでも給料は若手の数倍です。
60代の上司にエクセルの使い方を教えているとき、私は情けなくて涙が出そうになりました(笑)
日本の会社は専門職を除いて、個人の裁量がはっきり決まっていないことが多いです。
仕事ができない人の不足分を補うために、他の人の作業量が多くなることがままあります。
そしてそれが給料に反映されていないという現実があります。
会社員の給料は年功序列で、立場に応じて決まっていることが多いです。
作業量や能力だけで決まっているわけではありません。
例えば、資料をきちんと作る派遣社員は薄給、ハンコを押すだけの上司は高給ということもありえます。
学生の時の勉強は自分でやらなければ意味がないですし、テストは本人の成果として数字に残ります。
他の人に代わりに勉強してもらう、などということはありえません。
学生と比べて社会人が厳しいとは限らないと思います。
作業量が多いのは「厳しさ」というより「改善点」であることも
そして私の勤めていた会社では無駄な作業がとても多かったです。会議のための打ち合わせや紙の資料のデータ化(FAXにこだわりがある人がいるので)などです。
日本の生産性は低いと言われていますから、これらは一般的な傾向なのではないでしょうか。
このような現状はある意味「厳しい」ですが、それを「社会が厳しい」と表現するのは違和感があります。
それは”社会人として必要な厳しさ”でなはいからです。
例えば、いい商品を作るのに頭を悩ませる、売るためにどうしたらいいのかを考えるなど、売り上げを増やすための大変さは「社会人の大変さ」です。
しかし無駄な作業が多いことは改善点であって、社会人が直面しなければならない厳しさではないはずです。
むしろ「社会の厳しさ」と捉えることによって、効率化を放棄したいだけのように思います。
マウントを取りたいだけ
それでも
「社会は厳しい」
「社会に出たらやっていけないぞ」
という人が後を絶たないのは、ただマウントを取りたいだけなのだと思います。
自分より経験が少ない年少者を捕まえて、ただただ自分の優位性を確認しているのです。
面倒くさいです。
あまり真に受けないのが吉です。
まとめ
そもそも、ほとんどの人が何らかの「社会」で活動していますから、それをひとくくりにすることはできません。
厳しい中で働いている人もいれば、先に述べたように働いているように見えない人もいます。
「社会は厳しいぞ!」なんて一言で言い表せるものではありません。
学生さんで、親や先生、バイト先の社員などにそう言われても、気にする必要はないと思います。
ではまた♬
ではまた♬