差別は「優しさ」から生まれる?「差別しているつもりはない」の無意味さ

「その発言・行為は差別」だと指摘された際、「自分は差別しているつもりはないから差別ではない」と反論する人がいます。
しかし、差別しているかどうかに自覚の有無は関係ありません。
むしろ「親切心」から差別が生まれることさえあります。

「優しさ」の裏にある差別意識

差別は一見すると「優しさ」であるかのような形をとることがあります

例えば、
「女性は弱いから、男性が守るべきだ」
「家事育児は立派な仕事だから、女性は社会に出る必要はない」
といった意見などがこれに該当します。

これらは一見すると女性に対して「優しい」姿勢であるように見えるため、差別だと気づかない人も多いのではないでしょうか。

しかしこのような意見は、女性を家事労働に縛り付けることを肯定し、女性の経済的自立を阻害する働きをします。
これらの意見は男性の支配を正当化するものです。

このように、一見すると女性に対して「優しい」態度と見受けられる言動の背景には性差別が潜んでいることがあります。
差別は巧妙に私たちの価値観、生活の中に紛れ込んでいるのです。

敵意的差別と好意的差別

グリックとフィスクという研究者は、女性差別には敵意的性差別主義好意的性差別主義の2つがあると指摘しました(Glick & Fiske, 1996; Glick et al., 2000)。

●敵意的性差別主義
女性に対する嫌悪を伴い、女性と対立して支配しようとする差別意識。

●好意的性差別主義
女性を理想化しながら、家父長制や女性が家庭内労働に従事することを正当化する差別意識。
表面的には好意的に見えるが、男性の支配を正当化し男性中心社会を継続させる機能を持つ点では敵意的性差別主義と同様。

この両者は無関係ではありません。
性差別主義者は、この2つを状況によって使い分けて自分の差別的態度を正当化すると言われています。

実際に、大学生を対象にした調査では、好意的性差別主義得点の高い者ほど敵意的性差別主義得点も高かったという結果が出ています(宇井・山本、2001)。

まとめ

「あなたは女性差別に反対ですか?」と問われたら、多くの人が「反対だ」と答えるでしょう。
しかし、「差別はだめだけど」という枕詞を置きながら、差別的な言動・態度をとってしまう人は大勢います。

こういった人の多くが、「それは差別だ」と指摘されると逆上します。
”差別する人間であること”は差別主義者にとって、認めたくない事実のようです。

そのため、差別を正当化する手法を使うのが上手です。
「守る」というような耳障りのいい言葉で支配を正当化します。

それを自覚的に行っている人もいれば、本人が(自分の中の差別意識に気づかず)本当に「優しさ」のつもりで差別に加担しているケースもあるでしょう。

そのため「自分は差別しているつもりはないからこれは差別ではない」という言い訳は無意味です。