もうこういうのやめませんか…
ちょうどいいブスとは
同ドラマは、お笑いコンビ「相席スタート」の山崎ケイ(崎はたつさき)さんの同名エッセイが原作。夏菜さんが演じるのは、とある商社の総務部に勤務する“自己表現下手くそブス”の中川彩香で、片思い中の男性に全くアプローチできないでいる受け身体質の女性という役どころ。原作者の山崎さん演じる“ちょうどいいブスの神様”の教えに従って、“ちょうどいいブス=素敵な女性”を目指す物語となっています。内面がブスって話なのか。
引用:ねとらぼ
「ちょうどいいブス」=「素敵な女性」という表現、無理があると思います。
ブスはブスであり、素敵だと言ってみたところで
こんなやり取りが流行って女性のストレスが溜まっていくことが想像されます。
男「お前ちょうどいいブスだよなー」
女「は?(怒)」
男「いや褒めてるんだって!」
女(モヤモヤが残る)
「ブス」は侮辱語です。
カジュアルに使っていい言葉ではありません。
誰にとって「ちょうどいい」のか
出典:ytv
人間は社会規範や評価基準に沿った行動をとろうとします。
人はみな承認欲求を持っており、「評価されたい」と思うのは自然な発想です。
反対に、規範から逸脱して非難されたくないと思うのも当然です。
それは適応的だといえます。
「ちょうどいいブス=男性に安心感を与えるモテる女」というのも、元々は山崎ケイさんが自分の長所や短所に向き合い”モテ”を追求した結果生まれたものだと思います。
それは処世術であり、なんとか前向きに生きていこうとする女性の素直さやひたむきさを感じさせます。
しかし、「モテる」ためにこんな自虐が必要なら、「自分を下げてまでモテることがいいことなのか」と、規範自体に向き合った方がいいと思うのです。
「ちょうどいいブス」は男性にとっての「ちょうどいい」に他なりません。
「ちょうどいいブス」はつまり、「男が緊張するような美人ではなく、安心感を与えてくれるブス」ということでしょう。
これは女性を見下していないでしょうか?
自分が見下せる女性しか好きにならないような男性は、モラハラ気質です。
モラハラ気質の男性に好かれても、その先に幸せがあるように思えません。
そんな人に好かれるために「ブス」という言葉を使って自己肯定感をすり減らす必要はないと思います。
使い古された表現
「女は隙がある方がいい」「頭のいい女はかわいげがない」
など、女は男よりも劣っていることが望ましいという価値観は昔から存在します。
男性の脅威にならない女性だけを評価することや、女の価値は若さや容姿だけだと決めつけることで、男社会は女性を抑圧してきました。
もう少しで2019年になります。
もうそろそろ、こういうの卒業しませんか…?
まとめ
現在では、世界中で女性をエンパワーメントしようとする動きがあります。その一方で、日本は「自虐してやっと受け入れてもらえる女像」を提案している…というのは悲しい話です。
山崎ケイさんが「己の強み」として見出したのが「ちょうどいいブス」ポジションだったのは、男社会に適応した結果なのだと思います。
日本の男社会の頑健さをまざまざと突き付けられているようで、ちょっと疲れます。
ではまた