特に最近、LGBT問題のバックラッシュが起こっているように思います。
差別問題の解消のため、当事者ではない人の役割について考えてみたいと思います。
差別は命に関わる問題である
LGBTの方々への差別を「ただのいじり」と考えている人もまだまだ多いように思います。しかし、差別は人の命にも関わる、重大な問題です。
3年ほど前、一橋大の学生が亡くなったことも記憶に新しいかと思います。
●一橋大アウティング事件
「同性愛者であること」を同級生に同意なく口外され、苦しんでいた一橋大学の法科大学院生Aさん(男性・当時25歳)が2015年8月に学校から転落死した。
※「アウティング」とは、同性愛者であるという秘密を、本人の同意なく第三者が暴露することです。
引用:HUFFPOST
差別は人権に関わる問題であり、早急に解消していかなければなりません。「同性愛者であること」を同級生に同意なく口外され、苦しんでいた一橋大学の法科大学院生Aさん(男性・当時25歳)が2015年8月に学校から転落死した。
※「アウティング」とは、同性愛者であるという秘密を、本人の同意なく第三者が暴露することです。
引用:HUFFPOST
非当事者も差別反対を表明する アライという選択肢
差別問題の解消は差別されている当事者だけ頑張ればいいというわけではありません。アライの力が不可欠です。
●アライとは
「アライ」とは、英語で「同盟、支援」を意味するallyが語源で、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の当事者ではない人が、LGBTに代表される性的マイノリティを理解し支援するという考え方、あるいはそうした立場を明確にしている人々を指す言葉です。非当事者であることを明示するために「ストレート(異性愛者)・アライ」とも呼ばれます。
引用:日本の人事部
より分かりやすく説明するため、差別問題の当事者性(当事者・非当事者)×加害性(加害者側・被害者側)に分けた図を作成しました。「アライ」とは、英語で「同盟、支援」を意味するallyが語源で、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の当事者ではない人が、LGBTに代表される性的マイノリティを理解し支援するという考え方、あるいはそうした立場を明確にしている人々を指す言葉です。非当事者であることを明示するために「ストレート(異性愛者)・アライ」とも呼ばれます。
引用:日本の人事部
※この図では、「当事者」を「LGBT当事者」という意味ではなく「差別を直接する当事者/差別される当事者」という意味で使用しています。
それぞれについて説明します。
差別者
差別者とは差別を実際に行う人のことです。ここの人数を減らしていくこと、また「差別心を公に発表してはいけない」という価値観を形成することが大切になります。
被差別者
被差別者は実際に差別を受ける当事者性を持った人(LGBTの方々)のことです。社会構造上、マイノリティの意見は軽く扱われやすく、差別者と被差別者の間には大きな力の差が存在します。
傍観者
この図における傍観者とは「差別的な行動を直接していないけれど、差別に反対していない人」のことです。傍観者自身は「自分は部外者、中立」と思っていることも多いですが、立場上加害者側になります。
なぜなら、差別という明確に悪いことに対して傍観するというのは黙認を示すことと同じだからです。
無言の同意は、差別者を援護していることになります。
アライ
アライは先に述べたように「LGBTではないけれど差別に反対する人」のことです。アライは被差別者の属性を持っていないため、当事者よりも意見を聞いてもらいやすいという特徴があります。
アライの役割とは
差別問題で大切なことは差別されている当事者の意見を聞くことです。アライがLGBTの声を代弁したら、それは抑圧になってしまいます。
そこでアライに求められるのは、差別者へのカウンターではないでしょうか。
差別を行う人に対して「差別はやめるべき」と言うことによって、差別が悪であることに加え、差別に反対する人間が存在することを表明することができます。
被差別者は差別によって自尊心・自己肯定感を侵害され、差別への対応に疲れてしまっていることも多いといいます。
アライには、被差別者の負担を減らしながら、かつ差別的な言葉を言いにくい社会風土づくりが求められます。
アライについてはこの記事に詳しいです。
勉強になります。
「LGBTフレンドリー」の、その先へ。「よいよいアーライ」になるための10か条
まとめ
LGBT問題に限らず、差別意識は誰でも持っているものです。そのため、まったく自覚していなくとも、言葉の端々に差別意識が滲み出てしまうことがあります。
「気を付けていれば大丈夫」という性質のものではありません。
だからこそ「どういったことが差別に当たるのか」「差別構造を変えるにはどうしたらいいのか」を考えることは、すべての人間に共通する課題です。
自分自身も、差別問題についてはよく考えていきたいと思います。