会田誠氏の講義は「環境型セクハラ」?女性を非難するのはお門違い

京都造形芸術大で公開講座を受けたところその一部の講義に環境型セクハラにあったとして、受講していた女性が、大学を運営する学校法人「瓜生山学園」に訴えを起こしました。
ネット上には原告を非難する声が挙がっています。

原告女性を非難するのはお門違い

原告女性を非難する声の多くが、「ゲスト講師である会田誠氏の作風を調べていなかった女性が悪い」というものです。
今回の提訴をめぐり、ツイッター上ではさまざま意見が上がった。弁護士の山口貴士さんは、「会田誠氏が講師だと事前に告知されており、事前に軽くネットで調べればどんな作風なのかも分かるのだから、自己責任としか言いようがない」と女性を批判。
引用:Yahooニュース
こういった批判はお門違いです。

原告が訴えているのは大学

まず、原告が訴えているのは大学側です。
会田氏の講義内容そのものよりも、運営や告知の方法を問題視しています。

さらに、事後対応にも横暴な点があったようです。
大学側は同年7月、環境型セクハラについて、対策が不十分だったと認める内容の調査報告書をまとめたという。ところが、そのあとの話し合いで、示談にあたって、お互い関わり合いを持つことをやめる、という項目の要望があり、交渉が決裂。大原さんは同大通信教育部を卒業して、他の大学やカルチャースクールで美術モデルの仕事をしている。
引用:Yahooニュース
美術モデルをしている原告が、大学との関わりを絶たれることは大きな問題でしょう。
仕事や生活に影響を及ぼすことが考えられます。

その点から、この訴えは正当なものだと思います。

シラバスからその内容を把握するのは難しい

そして事前の告知であるシラバスから講義の内容を想像するのは難しいと思います。
ロダンの作品をアイキャッチにし、「芸術と対立概念になりがちなポルノの話や、第二次性徴期の話、フェミニズムの話なども避けては通れないでしょうね」という文言から、講義内で「モデルをズリネタにした」という発言を聞くことになるとは予想できないでしょう。

原告女性の勉強不足を非難するには無理があります。


会田誠氏の作風について(個人的な感想)

ここからはただの感想です。
個人的に、会田誠氏の作品(女性をモチーフにしたもの)については好きではありません。
気持ち悪さや女性の尊厳の軽視を感じます。

会田誠氏の作品が社会で高く評価されてきたのは、社会に女性差別が存在しているからでしょう。

例えば、四肢を切断された裸の少女がペットのように鎖につながれている絵は、「女性の自由を奪い支配下に置きたい」という願望の表れのように見えます。
この絵は、そういった潜在的な願望を持った人々の琴線に触れる作品であることは間違いないでしょう。

女性差別を具現化した作品だからこそ、女性差別をしたい大衆の支持を得た、ということです。

ただ、社会に存在する悪しき大衆的価値観をただ肯定する作品を「芸術」と評することには違和感を覚えます。

先に挙げた四肢を切断された少女の絵について、「自由を奪われてしまった女性の苦悩」が表現されていたら、社会に対する批判的視点を持った作品だと解釈することができます。
しかし、会田氏が描いた少女は子犬のような無垢な表情を浮かべています。
私には、手足を切断された苦悩や屈辱は感じられませんでした。

男性の差別的な願望をただ表現した商業的な作品に見えました。

女性差別的な社会に受け入れられた「芸術作品」は、社会の変化とともにその位置づけが変わっていくことが予想されます。
願わくば、「過去にはこのような差別的な表現が芸術作品として好まれた時代があった」と負の遺産のような扱いになることを望みます。

まとめ

原告女性の訴えはとても勇気がいるものだと思います。
社会的地位のある男性がかかわった事件では、女性のプレッシャーは相当なものでしょう。

この環境型セクハラの訴えを裁判所がどう判断するのか、とても興味があります。
「アート無罪」と言われがちな芸術界で、差別的な表現の「扱い」をどうしていくのか、一つの転換点なのかもしれません。