「死んだら負け」で人は救えない

ダウンタウンの松本さんの「死んだら負け」という発言が賛否をよんでいます。
この発言について自分の考えをまとめました。


事の発端

ことの発端は、10月14日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、松本人志さんがアイドルグループ「愛の葉Girls」メンバー・大本萌景さんの自殺について「死んだら負け」と発言したことです。

その後この発言は賛否を呼びましたが、後日松本さんはTwitterに再びこの発言を投稿しました。


「死んだら負け」がダメな理由

私はこの発言について否定派です。
以下にその理由を述べます。

死ぬほど辛い人にとって「負けないこと」は魅力的でない

まず、「死んだら負けだ」と言われて死ぬことを踏みとどまる人は、負けること嫌う人だけです。
すべての人が勝ち負けにこだわっているわけではありません。

むしろ、生きることの困難に直面している人にとって、他人に判断される「勝ち負け」など追い詰められこそするものの、励まされたりはしないのではないでしょうか。

しかもこの文脈における勝ち負けには実態がありません。
死を考えるほどの状況にある人にとって、生きていることが結果的に「勝ちである」と言われても、苦しみを取り払うことにはなり得ないでしょう。

ただ「負けるな=生きろ」といったところで、それは「苦しみ続けろ」の意味にしかならないように思います。
「負けないこと」である「生きること」は魅力的な選択肢ではないのです。

むしろ、生きる気力を無くしている人に「死んだら負け」のような強者の言葉をかけると、「自分は負けたんだ。ダメな人間だ」と自己肯定感を低下させてしまう恐れがあると思います。

苦しめた側の人間を透明化している

さらにこの発言の害悪な点は、死ぬ側の人間のせいにしているところです。
「死んだら負け」は「死を自ら選ぶ人間が悪い」を暗に意味しているように思います。

これでは苦しめた方を透明化しすぎではないでしょうか。
自殺の理由は一つではなく複雑なので、「苦しめた側」について言及することが難しいのは分かります。

しかし、死んだ人間を負けだとジャッジするだけの発言は、その人が苦しんだ要因を無視しすぎです。

「人を苦しめた方が負け」であり、”逃げていい”社会へ

自殺を考えるほど思い詰めている人に何を言えばいいのかというのは悩ましいテーマです。
相手によって違う、状況によって違う、そんな中で適切な言葉を選ぶのはとても難しいことだと思います。

自分なりのエールを送ったつもりで相手を傷つけてしまうことは誰にとっても起こりうることです。

しかし少なくとも、「死んだら負け」より「他人を意図的に苦しめる人こそが倫理的に間違っている=負けである」という構図でとらえた方が抑止になるのではないでしょうか。

そして「死ぬことが負け」ではなく、「困難から逃げても負けじゃない」という考えを広めた方が救いがあるように思います。

まとめ

自殺は日本において大きな社会問題です。
個人の問題とするのではなく、社会の方に問題があると考える方が有効です。
そのため「死んだら負け」のような個人に責任を帰属させる考え方では、自殺は減らないと考えます。