痴漢冤罪が多いと感じてしまう理由とは

痴漢は重大な犯罪です。
それにも関わらず痴漢対策が遅々として進まない理由の一つに、「冤罪を恐れるあまり、痴漢被害者を泣き寝入りさせようとする人が少なからず存在する」ことが挙げられます。


痴漢冤罪は多いのか?

「痴漢被害が深刻だ」という話をすると、必ずと言っていいほど「でも冤罪も多い。冤罪で人生が終わる方が深刻だ」という声が出てきます。

そもそも冤罪は本当に「多い」のでしょうか。

痴漢被害に遭った人の中で通報する割合は一割程度であるといういくつかの調査があります(*1)
そのため、むやみやたらに通報されていて冤罪がたくさん起こっているとは考えられません。

痴漢は法律上では「強制わいせつ」あるいは「迷惑防止条例違反」に該当します。
強制わいせつ(痴漢以外も含むので参考数値)において起訴されるのは半数程度です(*2)。
検察統計(*2)より作成

そして起訴されても初犯であればほとんど罰金刑だといいます(*3)。
人生が終了するというのは大げさです。

「冤罪が多発しており、訴えられたら即人生終了」というイメージは、現実を正確に反映しているとは言えません。

そして、本当の痴漢加害者であっても「自分はやっていない。冤罪だ」と主張することを踏まえると、客観的に「冤罪が多い」と判断することは困難なはずです。

人間の直感的な思考

では、なぜこれほど多くの人が、「冤罪だ!」と考えてしまうのでしょうか。

人間の思考の方法で説明してみます。
人間の判断は精緻な論理に基づくものではありません。
大抵の場合、限られた情報の中で、直感的な判断を行っています。

この直感的・感覚的な判断方法のことをヒューリスティックといいます。

●ヒューリスティック
ある問題を解決する際に、必ずしも成功するとは限らないが、うまくいけば解決に要する時間や手間を減少することができるような方法。
簡便で直感的な判断方法のこと。
⇔反対に、ある方法に従えば必ずその問題が解決される方法をアルゴリズムという。

確率や数値を算出する問題を解くときには正確な計算をする人でも、それが日常的な文脈の中で発生すると、ヒューリスティックな方略がとられやすくなります。

これは統計学の専門家にもみられる傾向で、逃れることは困難です。

発生頻度を多く見積もる 利用可能性ヒューリスティック

痴漢冤罪が多いと感じてしまう発想の原因の一つは利用可能性ヒューリスティックであると考えます。

●利用可能性ヒューリスティック
ある事象が起こる確率を判断する際にみられる方略。事例や出来事を思い出しやすいほど(頭の中で検索しやすいほど)頻度や確率を高く見積もってしまうこと。

例えば、刑法犯少年の検挙人数は年々減少しているにも関わらず、少年犯罪に関する報道を目にすることで「少年犯罪が多くなってきている」と感じてしまうケースもこれに該当します。

現在のメディア環境は、痴漢冤罪が多いと感じてしまう条件がそろっていると言えるでしょう。

情報がたくさんある

よく見聞きしていることは、たくさん起こっていると勘違いしやすくなります。
今、ネット上には「痴漢冤罪」に関する情報があふれています。
これに触れていると、必要以上に痴漢冤罪が発生しているかのように錯覚してしまう可能性があります。

記憶に残る

特に犯罪や災害の報道はインパクトが強く、記憶に残りやすいため、実際よりも起こる頻度が高く推定されやすくなるといいます。
多くの男性にとって、痴漢冤罪は「人生が終わる出来事」として恐怖心と結びつき、強烈に記憶に残っているようです。

頭の中の情報の検索しやすさ

頭の中の情報の検索しやすさも判断に影響を与えます。

例えば、ある実験では、言葉の1文字がrの英単語と、3文字目がrの英単語ではどちらが多いかという質問をしました。
すると、実際には3文字目がrの単語の方が多いにも関わらず、ほとんどの人が1文字目がrの単語の方が多いと答えたといいます。
これは、一文字目がrの単語の方が思い浮かべるのが容易なためです。

冤罪に関して言えば、「痴漢」というキーワードで自動的に「痴漢冤罪」を連想している人がしばしば見受けられます。
これは検索しやすい状態になっていると言えます。

このように、「痴漢冤罪」というキーワードを見聞きし記憶に残っているため、実際に痴漢冤罪事件が多発しているかのような誤った判断をしているものと考えられます。

情報の内容とは無関係

しかし、ネット上にあふれる痴漢冤罪に関する情報は、具体性のないものがほとんどです。
「痴漢冤罪がある”らしい”」
「痴漢冤罪の”疑いをかけられそうになった”」
「痴漢冤罪をでっちあげようとしている女がいると”聞いた”」

挙句の果てには「ちょっとぶつかったらにらまれた。冤罪だ」などと、そもそもの意味が異なるようなものも散見されます。

しかし、直感的な判断の元では、「たくさん痴漢冤罪に関する発言を見た」=「多い」という誤った認識が生まれてしまいます。

冤罪を恐れる人を増やすことで得をするのは「誰か」

冤罪は刑事司法が生み出しているものです。
もし本当に痴漢冤罪を恐れているならば、取り調べの可視化、微物検査の精度のさらなる向上などを求める方が建設的なはずです。

しかしそうはなっていません。
これは「被害者が泣き寝入りした方が得をする人」がいるからなのではないでしょうか。
それは当然、痴漢加害者です。

痴漢の問題を議論しているときに痴漢冤罪の話を持ち出すことは、痴漢加害者を擁護する行為だといえます。

まとめ

先に述べたように、人間がヒューリスティックな思考をしないようにするのは非常に困難です。
しかし、痴漢冤罪が多いと感じること、それを発言することは加害者を擁護することにつながります。
それを自覚し、認識や発言を修正する努力をするべきです。

【参考】
*1 うさうさメモ
*2:検察統計
*3:刑事事件の弁護士カタログ 痴漢のすべて