女尊男卑の世界「軽い男じゃないのよ」感想

ネットフリックスで「軽い男じゃないのよ」を見てみました。
コメディ?ホラー?社会派?といろいろな見方ができる作品です。

ネットフリックスで「軽い男じゃないのよ」を視聴



「軽い男じゃないのよ」のあらすじ


この映画は、女性を見下す軽薄な男性が頭を打って気絶し、目が覚めたらそこは「女尊男卑の世界」だった…という物語です。

女尊男卑の世界の異様さを実感させることで、現実世界の差別に気づかせることを目的とした作品だと思います。

人によっては面白くもあり、恐ろしくもあり、興味深くもあり…
どの立場で見るかによって、感想が異なる作品だと思います。

終わり方は、全員にとってぞっとさせるものがあります。
風刺がきいたエンディングです。

「役割」の逆転で表現された世界


この物語は立場だけを入れ替えているわけではありません。

一般的に「女性が支配する世界」というと、ハイヒールをはき、スーツをパリッと着こなす優秀な女性が出てくる様子を想像する方が多いのではないでしょうか?

でもこれは違います。
「役割」そのものを逆転しているのです。

ムダ毛の処理をしなければいけないのは男性、性的に消費されるのも男性、サポート業務をこなすのも男性、家事をするのも男性…といった具合です。
(出産するのは女性ですが、勇ましい方法で産みます。)

そのため、現実社会で女性が置かれている状況の異様さに強制的に気づかされることになるでしょう。
例えば、普段は妻や女の子が家事をすることに疑問を持たない人が、男性が家事をする状況を見て不自然だと感じたら、それは女性軽視なのです。

女性である私も、いろいろ気づかされました。
最初は
「分かる分かる~」
と笑いながら見ていたものの、段々怖さを感じてきました。

過去長い間、女性の置かれている状況に違和感を感じなかったことの異様さを感じずにはいられません。
そして、(女性差別に限らず)まだ気づいていない差別意識を自分が持っている可能性を自覚しなければいけないと強烈に感じます。

人が無意識に持つ差別意識を直接的・間接的にあぶりだす、ある意味で恐ろしい作品だと思います。

「適応」による差別の再生産


また、差別が環境によって再生産されることも自然に表現されています。

主人公の男性は元々、女性蔑視をする横柄な態度の男性でした。

しかし、女尊男卑の世界で暮らし始め、最初こそ激しい抵抗を示したものの、次第に環境に適応していきます。

だんだんしおらしく、いわゆる「女性的(物語の中では「男性的」)」になっていくのです。
これは性役割が環境によって作られることを表現しています。

「男は男らしく」「女は女らしく」という性役割は社会によって作られたものです。
生物学的本能よりも、環境によって学習する度合いが大きいでしょう。
そしてそれが性差別を固定化します。

差別が「差別心を持った悪意ある人」によって行われるものだと思っている人は少なくありません。
しかし、差別心は人々の価値観の中に溶け込んでいるものです。
そして、そのような価値観が一般化された社会に適応することで自然に受け継がれていきます。

「女らしさ」「男らしさ」について考えるきっかけになる作品です。

まとめ

これは日本では作れない映画です。
フランスが進んでいることがものすごく伝わってきます。
うらやましいです。

そしてこれを見た人同士で、どういう感想を持ったかを話し合いたくなりました。
是非見てみてください!

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