ミサンドリーとフェミニズムは矛盾しない

フェミニズムにかかわる発言をすると
「それはミサンドリーだ」
という反論が相次ぎます。
しかし、ミサンドリーとフェミニズムは矛盾しないはずです。



ミサンドリーとは


ミサンドリーとはこのような意味です。


ミサンドリー(英: misandry)とは、男性への嫌悪あるいは憎悪。男性嫌悪(だんせいけんお)・男性憎悪(だんせいぞうお)などともいう。
引用:Wikipedia

この言葉は
「フェミニズムは男女同権を目指すものだ。お前の主張は男を敵視しているだけ。つまりミサンドリーだ」
と、フェミニストへの反論に使われることが多々あります。

ミサンドリストになるには原因があるのでは

女性差別的が蔓延した社会では、屈辱的な経験、危険な経験をしたことのある女性は少なくありません。

例えば、
・努力した成果を「女性だから」という理由で軽んじられたこと
・雑用や家事労働を当然のように押し付けられたこと
・容姿をからかわれたこと
・痴漢に遭ったこと
・夜道で怖い思いをしたこと
など、枚挙に暇がありません。

そして多くの男性が、それらを「当然のこと」とみなしてきました。

例えば、「痴漢に遭って怖かった」という話を男性にしたとき、その心情に寄り添ってもらえた経験のある女性は少数派です。

多くは
「モテ自慢?」と揶揄されたり、
「でも冤罪が~」と反論されたり、
「で、どんな感じだった?」と性的消費の対象にされたり、
二次加害の応酬が待ち受けています。

そのような状況で、男性一般への基本的な信頼感が揺らいでしまうことは無理もありません。
ミサンドリー的な価値観はそういった実体験をもとに形成されていくものと考えられます。

そのため個人的には、ミサンドリーは「男性嫌悪」というより、男性に対する恐怖・失望といったニュアンスに近いのではないかと思います。
嫌いになりたくてなっているわけではなく、そうならざるを得ない経験を背景にしています。

「ミサンドリーならフェミニストではない」という意見はおかしい

女性差別的な扱いを受けたことを原因として、
・差別構造に気づきフェミニストになること
・男性への信頼が揺らぎミサンドリストになること
の二つは特段矛盾するようなことではありません。

よって「ミサンドリーならフェミニストではない」という考え方は論理的な誤りがあります。
むしろそれはフェミニストの口を封じるためだけの考え方です。

フェミニストが男女平等を訴える
=男性にとって都合が悪い
=ミサンドリーに違いない
=男女平等思想(フェミニズム)ではなく個人的な感情だろう
=だから支持するに値しない

このような理屈を導くのに都合の良い考え方だといえるでしょう。

まとめ

多くの人は、実体験からミサンドリーになっています。
そして男性から離れようとしているように思います。
男性が苦手だからという理由で彼氏を作らず、趣味を楽しんだり、女友達との時間を大切にしている人はたくさんいます。

対してミソジニーやインセルは、「女性にモテない=何もされていない」から女性を憎む傾向があるようです。
そして女性に対する加害行動に走る人が確認されています。

ミサンドリーとミソジニーは非対称的です。
(男性に対して加害行為をするミサンドリーがゼロだとは思いません。それは個別に非難すべきです。)

しかし、フェミニズムへの反論としてミサンドリーという言葉を使うことは、そもそもの意味をはき違えているような気がします。
男女の非対称性を理解すべきです。