最近ネットで「せやろがいおじさん」が人気です。
せやろがいおじさんは、沖縄で活動するお笑いコンビ「リップサービス」の榎森耕助さんのキャラクター。沖縄の美しい景観をバックに、社会問題に切り込む動画が話題を呼んでいます。
誰かを悪者にするでもなく、分かりやすい言葉で問題提起する動画はとても勉強になります。
そのせやろがいおじさんに女性蔑視の指摘があったようです。
実は、1年前の動画の中で「女性蔑視の発言がありましたよ」と指摘がきまして。
内容は「SNSで画像加工した女性を見た後に実物見たら『ブス来たー』ってなりますよね」という発言で。お笑い界では割とよくある文脈です。
指摘に対して、一瞬「そんなつもりないから」「女性蔑視の気持ちないから」という反論をしかけたんですが、よく考えたら傷つく人もいるから、「不快にさせてすいません」と投稿したら、「お前なんも分かってないな」「そういうことじゃない」と反論がきまして。
そこで再度、自分の中で問題を因数分解して、「別に画像加工するのは女性だけじゃなくて男性もいるよな」「なんで女性に限定したんだろう」と思って。そこで、自分が無自覚に女性差別をしていたんだと気づいて。
自分が指摘されて、初めて差別する側は息を吐くように差別するんだなと気づきまして。
「不快にさせてしまってゴメンなさい」という謝り方も、ヤリをブンブン振り回してて「痛い、痛い」と言われているのに、「痛かったならゴメンなさい」と返すような謝り方で。まずはヤリを止めろよと。
自分の中でも、学びとして大きかったですね。
引用:HUFFPOST
差別問題は指摘されると反発する人がとても多いです。
「差別だというお前が差別している」というような返しをする人もいます。
そんな中、せやろがいおじさんのこの「内省」は素晴らしいと思います。
「自分がなぜそう感じたのか」を考える、いわゆるメタ認知をしているわけですが、女性差別を指摘された男性でここまでたどり着く人は本当に希少です。
私と同じように思った人が多かったのでしょう。
ツイッターにはせやろがいおじさんへの称賛コメントが多く寄せられています。
しかし、ふと考えてみると、それが「素晴らしいもの」であるのもおかしな話です。
差別を指摘された人は一度立ち止まって内省する、それは本来「当たり前のこと」であるべきです。
本来は、せやろがいおじさんのこの姿勢が標準になるようにしなければなりません。
「素晴らしい」で終わってはいけないのです。
特に、フェミニズムにかかわった男性は
「他の男が知らないことに気づいた俺すごい」
↓
「女に指導してやろう」
↓
女性から反発される
↓
「味方してやろうと思ったのに文句言われるからやめた!」
となることが多いです。
(せやろがいおじさんはならないと思いますが、一般論として)
女性差別問題に関心を持っている男性があまりにも少ないので、少しでも理解している男性は多くの称賛が得られます。
そのため「フェミニズム=女の味方をして”あげている”=褒めてもらえる=褒めてもらえないならやめる」という感覚に陥りやすいのではないかと思います。
将来的には「できて当たり前」むしろ「出来なきゃ恥ずかしい」という認識になっていくのが望ましいのだと思います。
ただ、せやろがいおじさんの件は希望を感じました。
現在の社会は「男性の声」の方が通りやすい社会です。
女性差別問題を女性が訴えると見向きもされない(むしろ非難される)のに、男性が訴えると関心を持ってもらえるというケースがたくさんあります。
そして女性差別問題は女性の問題ではなく、差別する男性(正確には男性社会というべきかもしれません)の問題です。
その点で、影響力のあるせやろがいおじさんがこのような内容を発信することは大きな意味のあることだと感じます。
今後、せやろがいおじさんがどのようなことを発信していくのか、とても期待しています。