![]() |
引用:TVアニメBEASTARS公式 |
BEASTARS(ビースターズ)あらすじ
肉食獣と草食獣の共存する世界。
食肉が重罪とされるなか、名門校・チェリートン学園で演劇部の生徒が食い殺される“食殺事件”が起きる。
犯人は見つからず、不安に揺れる生徒たち。
そんな中、演劇部では死んだ生徒の代役を巡っていさかいが起きる。
次期『ビースター』候補とささやかれ、演劇部のカリスマ的存在であるアカシカのルイに、逆恨みをした肉食獣の部員が襲いかかったのだ。それを庇ったのは、照明係の二年生・レゴシ。
『鋭い爪』や『大きな体』など、強そうな外見とは裏腹に、心優しく無口で不器用なオスのハイイロオオカミだ。
だが、当のルイはそんなレゴシを偽善的で気に食わないと言い、強引に夜間練習の見張りに任命する。
夜。誰もいない講堂裏の裏庭で、ひとり見張りをしていたレゴシの前に現れたのは―――
小さな白いドワーフウサギの女子生徒・ハル。
その匂いを嗅いだ瞬間、レゴシの体を本能が駆け巡る。
我を忘れて襲いかかり、気付いた時には、彼女を両腕に抱きすくめていた。
腕の中で聞こえる鼓動が自分のものか、彼女のものかもわからない。
しかしこのハルと、そして自分の本能との出会いが、静かで穏やかだったレゴシの人生を大きく変えていく。
彼女へのこの感情は、恋なのか? それとも食欲なのか?
オスとメス、肉食獣と草食獣。
それぞれの痛み、そして強さや弱さに直面しながら、悩めるレゴシの青春がいま始まった―――引用:BEASTARS公式
BEASTAR(ビースターズ)Sの「危うさ」
BEASTARSは肉食獣と草食獣が共存する学園が舞台。主人公のレゴシは、肉食獣・ハイイロオオカミでありながら気弱で不器用なキャラクターです。
そんなレゴシがウサギのハルちゃんと出会い、自分の気持ちが「恋心」なのか「肉食獣の狩猟本能」なのか葛藤する様子が丁寧に描かれています。
しかし、ちょっと私はこの物語に一種の「危うさ」のようなものを感じています。
それはこの2点です。
・強者性のコントロールに主眼が置かれている点
・「肉食・草食」という対立軸とは別に「オス・メス」の対比がある点
・「肉食・草食」という対立軸とは別に「オス・メス」の対比がある点
以下に説明していきます。
強者性のコントロールに主眼が置かれている点
この物語における肉食獣と草食獣の対比が、現実世界における強者と弱者を暗示していることは明らかです。体の大きさも身体能力もまるで違う。
そのため小さな草食獣は踏まれないよう廊下の端を歩かざるを得ない。
マイノリティがマジョリティに配慮「せざるを得ない」ことを自然に描写しています。
しかし、この物語は主にレゴシの「強者性」、すなわちハルちゃんへの「欲」に関する葛藤、およびそれのコントロールがメインに描かれています。
ハルちゃんへの思いは食欲なのか…
食べたくなってしまったらどうしよう…
そんなレゴシの「恐怖」に焦点が当てられています。
それって結構残酷だよな、と私は思うわけです。
確かに肉食獣にも苦しみはあるでしょう。
しかし草食獣の方が怖いと思うのです。
だって最悪の場合「食殺」されてしまうわけですから。
かなり緊張感のあるギリギリの信頼関係の中で生活を送っているだろうと想像できます。
「食べられてしまう恐怖」と「食べてしまう恐怖」がある中で、後者に焦点を当てて「どっちも大変だよね」とするのは、マイノリティの苦しみを結果的に軽視してしまうことになる気がします。
なんだか「弱者の貧困の苦しみ」と「強者の納税の苦しみ」みたいなのを比較して「どっちもどっち」にしてしまう残酷さみたいなものをうっすら感じました。
「肉食・草食」という対立軸とは別に「オス・メス」の対比がある点
2点目は「オス・メスの扱い」です。
先に書いたように「肉食・草食」が「強者・弱者」を暗示しているのは明らかですが、それとは別に「オス・メス」は既存のジェンダーロールに沿った扱いがされています。
例えばレゴシがハルちゃんに男扱いされたことで自信を持つというシーンがあります。
…ということは、「オス・メス」は「強者・弱者」だと(作り手側が)思ってない…?
と疑問に思いました。
せっかく「肉食・草食」という対立軸があるならば、様々な差別問題をそれに収れんさせた方が分かりやすくなりそうな気がするのですが、「女性が構造上の弱者である」ということが捨て置かれているようで、なんだか複雑です。
物語としては面白いと思う、でも…
物語としては面白いと思います。そして絵はめっちゃキレイ。
動きもなめらか。
そして弱者の性質に全く触れていないわけではない(例えばハルちゃんは草食という弱者でありメスなので、生存戦略として様々なオスと性的関係を結んでいたりする)ので、「こういうのもっと掘り下げてくれればいいのに!」と思ってしまいました。
物語全体として、「何をメインにするのか」が一つのメッセージになってしまうので、やはりちょっと危ういです。
差別問題を扱うなら細やかな配慮が必要だと思います。
ただ、まだ2期もあるようなのでどういう展開になるんでしょうね…